いちゃもんスローライフ

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家族物語 日記

日本語Ⅲ

2018/01/28

十代のころ日本語について考えていた。いろいろな小説などいちばん読んでいた時期だった。しかしそれは現代、近代文学作品のみであった。例えば平安時代の文学などは古文の教科書のなかで教材としてしか見ていなかった。本当の意味で日本文学といえる文学小説は読んでいないに等しいかも知れないなと、最近それも中西さんを知ってから気が付いた。

あの頃はいま振り返ると「理解されてない」という悔しさでいっぱいだった。理解されたくて話し言葉を工夫してみると結局多弁になってしまって煩がられた。話さない限り知ってもらう機会はなく「通じない」ことが悲しみとなっていった。誰かに聞いてもらうことで自分が何を考えて暮らしているのか自覚できることがある。言葉にできて分かることがある。向き合ってくれないとなると文章を書くしかなかった。他力を諦めて自力に転換したわけで、それでも「分かり合いたい」という情熱はなくなるわけではなかった。身近な人たちは省力型を好み簡単なことを選んでいるように見えた。あまり疑問をもたず曖昧でも平気だし、通じる喜びや通じない悲しみなどで喜んだり悩んでいる風には感じられなかった。そんな人たちに囲まれて生活することは場違いな所に居るようで困惑するばかりだった。多くの人は本質などに関心がないようで何か決定的な問題でも起きない限り意識にも上がらない様子だった。一般で少数派は奇人変人扱いされやすいようだ、と感じながらも言葉で分かることに拘っていた。孤独だったので人生観や世界観の合う人が作家の中にいるかもしれないと作品のなかに自分の内面と共鳴するものがないかと探していたのだろう。内向的だったために人的交流よりも色々な作家の著書を乱読し文章を書くことに相当の時間を費やしていた。身近な人だけでなく日本人は大方「曖昧なこと」に寛容で「はっきりした表現を嫌う」のではないかと人間関係の中で感じ始めていた。明瞭でありながら深みがあり情緒的で美的で…という日本語はないものかと考えていた。でも一般的には明瞭=はっきりした言動を女はするものではないなどと(大正生まれの)父などからは嫌がられたのを記憶している。「なんで曖昧でぼんやりした優柔不断な言動が優しい人格者扱いされて多くに好まれるのか」分からなかった。つまり「はっきりした人はキツイ人で愛がない」と敬遠されているように感じられた。それは三十年、四十年経った今でも一般的なようだ。人は理解されるには大いに歓迎し友好的だが(話をよく聞いて貰える時は喜ぶ)、理解されたくて多くを語る人や自分の信念を口にする人に対しては職業人(カウンセラーや精神科医など)でもなければ関係を持ちたがらないのかも知れない。共感力は大きな徳目でもあるがこの時代にあって語り合うという言葉における交流は少なくなってきてしまったように感じる。好きな作家は何人かいたが現実問題の解決とはまた別の世界の人たちであり読む時間を優先することは十代でほぼ終了した。けれども共感しあえる心情的関係は尊く思われ、諦めることなどできなかった。それは分からないものを(潜在的な情報を)分かりたい(顕在化する)とねがって意識し求め続けてきたように思う。

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