いちゃもんスローライフ

地球の声を聞きませんか

日記

まなざし

つい最近まで臨場感を共有しているもの同志に於いてはほぼ同様の物の見方が出来ているものだと思いこんでいたことが分かった。「そこに一緒にいたのだからあの日あの時のこと覚えているよね」そう尋ねてみても「覚えてないよ」などと言われれば何で覚えてないのだろう、と深刻に考えていたものだ。同じところに居たとしても眼差しを重ねることは不可能で想像以上にそれぞれの住む世界は違ったものになっているかもしれない。各個人が全く異なった認識をもつのは当たり前のことなのだ。それを今までどうして実感できなかったのだろうか。また、夫が言うには「今まで珍しく気の合う人と出会ってきててあまり通じないということがなかったでしょ」と。つまりこんなにも人って観点が違い、見てるものが同じじゃないんだ、という苦い経験をしていなかったための認識不足ではないかというのだった。振り返れば無意識にでも合わない人を避けて生きてきたのかもしれない。「ツワブキが咲いている」「花菖蒲の紫が素敵だね」「金木製が、馬酔木が、オモトが、マンリョウが………」と私が感激していても夫は「僕は植物の知識がないから目に入らないんだよね、花だって種類の分かる三つ四つくらいしか見えないのよ」と語るのを聞いて仰天してしまった。ものを表す名や概念などの情報が上がってこないと現物を前にしても照合できず接点を持たぬままスルーしてしまい、無かったことになっているし、また視力の及ばないことも原因の一つという。記憶のメカニズムの一端に触れたことは良かったがそれ以前の認識の問題も掘り下げてみようとおもう。とにかく愚かだった。

-日記