いちゃもんスローライフ

地球の声を聞きませんか

日記 田舎の生き物

「将来何になりたいですか」

小学校に入る前から何度も「夢は」「なりたい職業は」「目標は何ですか」などと幾度も問われてきた。「何になりたいって…」と困惑して「考えたことがありません」と正直に返事をしても「あるでしょ、何でもいいから答えて」と回答を急かされ無回答は決して許されなかった。こういった大人の都合に従順でなければ上手く事が運ばなということをいち早く察知して、問う側に協力的な子供も結構な割合でいた。目標って職業なの?夢って目標なの?小さいときから表明しなければならないの?何に向いているかこれから分かるかもしれないけど、分からないかもしれないじゃないの、早く決める必要があるの?などと度あるごとに考えていた私は優柔不断で我の強い子供に映っていたことだろう。これは職業に限ったことではなくて育った環境からか、結婚、離婚、再婚の話題が日常的だった。両親ではないが親族での揉め事を実家に持ち込んで相談しに日参していた叔父叔母が複数いた。結婚も契約でもあるので約束違反となれば大騒ぎである。離婚もいけない、転職もいけない、変わっちゃいけない、それは失敗だ、成功者はやり直さないで一発で上手く生きるのだ、みたいな印象を受けた。もしも途中で「好きでなかったな、向いてなかったな」と分かったならばどうすればよいのだろう、そんな不安が湧いてくるのだった。変化すると非難されるかもしれないというものだ。所詮契約は人を縛るものなのだ。合法的なハラスメントでは?と思うのだが人間同士の約束事なので心情的な解決方法はきっとあると思っている。ただし法的な拘束力が生じるので重い約束事でもある。西洋社会などは日本より早くから契約社会として発展してきた。しっかりルールを守る人は紳士淑女で文化程度も高いスマートな人たちである、といった印象を定着させている。これは権力側にはとても都合の良い方法だと思う。契約社会がすっかり定着してきているので異論を唱える人は多くない。就職の形も変化してきている。リスクを負わないように契約社員が多くなってきている。経営者の立場で考えれば納得できるものだ。むしろ被雇用者にも利点はあって、自分に合う仕事に出会えるかもしれないのではないかとおもう。合わないことを続けるにも限度がある。人間は学んでいくうちに、又は働いているうちに好きになったり、才能に目覚めるとかで良いものを作っていきながら形になっていくものではないかと考えている。誰かの望み願う人間にならなくてもよいのではないかと思う。好きになれるものに出会えるまで働いてみるのもよいのではないかと。こんな風な母親だからか、我が家の息子たちは私を上回る理想主義者のようで、本人たちは大まじめで本音に従って生きている。ゆえに世間の風は彼らには冷たいらしい。彼らは守れそうにもない約束はしないし、未だに何になりたいか模索中のようだ。自分で選んだ以上はどうか冷たい風に吹かれながらも「分かっていくこと」に臆病にならないで頑張ってほしいものだ。そういえば先日「何になりたいかなんて成ってからわかるものだろうよ、普通は。」と次男が言っていた。

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