いちゃもんスローライフ

地球の声を聞きませんか

日記

宇野選手

2019/12/30

フィギュアスケートの動画をみるのが好きで特に羽生選手や高橋、宇野選手のものが多い。最近は全日本バレーボール男子の試合動画も加わった。再生回数は羽生選手の動画が圧倒的に多い。容姿端麗なこともあって惹きつけられるのだが実は気になっているのは宇野昌磨選手なのだ。なぜか彼の滑りには特別な魅力を感じていた。理由は何故なのか自分なりに考えたこともあったが、今日はっきりした。例えばベートーベンの月光を滑るとして、その曲の作られた背景や作者の心情などの解説を意識していないことだ。「僕は曲の物語を理解してすべるのではなく、その時の曲を感じて、音を感じて、その時自分が感じたまますべります」と語っていたことからもわかる。彼は誰かの解釈した物語の中で滑っては居なかったのだ。また人生経験の浅い少年のような風貌なのに踊り始めればどこか風格があって背景の深さも伝わってくる。さて最近はスケートの楽曲でボーカル曲を認めるルール改正があってそれを試合で使ってもよくなったらしい。だが曲を感じて滑る選手にとって歌詞は意識を取られることも多いと聞く。歌詞が耳に入ってくるからなのだろう。どのような作家のものでもそれを表現するひとは、作者の代わりを演じるわけではなく、あくまでも表現者の感性に委ねられている。歌詞のつかない楽曲からはあからさまな物語性は感じないものだが歌詞が入ったら言葉は一致させる力を持つので否応なく作品提供者の物語がその場を占領しやすくなる。表現者が主役になれないような感じになってしまうものだ。宇野選手の純粋な魅力はどんな時も主役で誰とも比較させない唯一感にあると思っている。宇野選手の滑りは表現が曲なのか曲の権化が宇野選手の滑りなのか判別がつかないほど融け合っているように感じる。自分もそこにぐっと惹きこまれていく、それもまた見る側には嬉しいことだ。表現、行動、行為自体にはストーリーがないのが私は好きだ。それはアドリブの魅力にも似ていて「いま」を感じていけるからだ。

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