いちゃもんスローライフ

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日記

つれづれ

吉田兼好といえば「徒然草」と試験のために暗記するだけで読んだことはなかった。最近になって『やまと言葉で哲学する』の中で「つれづれ」の意味を説いていたのを読んでみた。「つれづれ」というのは、つまりは無目的の状態である。無目的とは、見方をかえればやりたいことをやるということであり、外・先においた目的によって自分を縛らない、手ぶらの状態である。花見をしたいと思えばする。競馬を見たいとすればみる。何かを書きたいと思えば書く。無目的の「つれづれ」とは、つまり、今やることがそのまま目的になっている、その意味で十全なありかたということができるだろう。…「日常的な生活から心身を解放し別天地に身をゆだねる」あり方でもあった。一種の「あそび」である。それはある種の空白状態であり、暇であり、所在なさ、手持ち無沙汰の状態のことである、というのである。兼好は生きる目的を先にかたく設定し、ひたすらその目的のためだけに現在を収斂させていくといったような生き方を否定しているのであった。この頃の私は明らかにこの兼好の生き方に賛同して、そのように生きれたらよいのになと向きを変え始めている。「遊んでばかりではいけません」と言われて育ったように子供にも学校が始まる頃には「あそび」を否定するような言動をしていたと思う。無目的に生きるなんて駄目でしょ、という感じで今更「徒然なるままに」っていいよねとやすやすと口にはできない。最初に目的があるのでなくて、今やることが目的になっているという意味は似て非なるもので誤解を招きやすいからだ。 このような感覚を持ち合わせながら無意識に生きている人は稀に居るもので、感心して褒めたりするのだが当人にとっては「僕を持ち上げすぎですよ」といいつつ「変なことを言う人だな」と訝しげに聞いていることだろう。同調圧力があってもそれに屈せずいまなら私も少しは幼子のような「今・ここ」を生きれる気がするのだが。

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