いちゃもんスローライフ

地球の声を聞きませんか

日記

無心

きのうのブログで『花と蝶』の良寛さんの漢詩を載せていたのに自分の心情が別の向きに逸れてしまい表現しようとしたものよりも潜在的な不安のほうが先に出てしまったようだ。無心ということをここ一月ほど考えていたので漢詩を見たときに大いに共鳴して嬉しかった。しかし逆にネガティブな情報が浮上してきてしまって心が乱れてしまったというのが正直なところだ。自然は作為もなく無心であり、それが自然の摂理というものなのだろうと、それが人間に於いても欠かせないはたらきだと感じそのような世界で生きたいと常々ねがってきた。それを希求する度合いは大きくなるばかりだ。 『花と蝶』を読んだ友人に「きょうのは以前の雰囲気とは違うね、デスマス調だからかな?」と言われて、みればその通りだった。「久しぶりにお客さんと万葉集ややまと言葉の話題がでてその影響かな?」と返したのだがデスマス調で書きたい気分だったし、自分とは違う人格がそうさせたのではないかと思うところもある。そのお客さんの持っている感化力も非凡なものがあった。それが出会いの面白さなのだと思っている。向き合う相手が違えばそれに伴って別の側面の自分をそこに見れるという経験は尊く刺激的なものだ。共鳴が起きてくるというはたらきは無心のうちに現れるもので突然にやってくる。そうなる前は未知の世界だった、大げさに言うならば。『やまと言葉で哲学する』の中に本居宣長や西田哲学、世阿弥や吉田兼好のこともいろいろ書かれてあるが「もののあわれ」や「面白し」「みずから」「おのずから」「あわい」「おのおの」などの語源をみれば管理やコントロール、成就や達成、固定概念などからの拘束感はないことに気が付く。それを好む自分は確かにやまとの国の子孫なのだと感じるこの頃である。

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