いちゃもんスローライフ

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家族物語 日記

事実と言葉 ⑴

先月11月は試練の日々であった。これを過去形で語れるということの意味は関係者以外には分からないことだろう。とにかく夫は帰還した。

ちょうど一か月ほど前に私は運転免許証を見失った。その時は初めて失くしたことに気が付いたのでとにかく半日以上も探しまくった。もうこれ以上は探しても無理というところまで頑張ったのだが見つけることはできなかった。その後すぐ再発行して新しい免許証を手にしたのだったが、何度も探した筈のバッグの裏の裏の奥のチャックのポケットからそれをちょうど四日後に発見することになる。実は免許証を携帯して運転を続けていたが、いざ取り出そうとして無いことに気が付いて無いと思ってしまったということだ。このときの衝撃が余波となってしばらくこの出来事について考え続けていた。そそっかしい性格で物忘れも始まって、もしかしたら被ばくの症状でも出たのかなとまで考えた。客観的に見つめると潜在的にはあっても顕在意識ではないとして再発行の為に遠くまで出向き時間もお金もかけて苦労してしまった、ということだ。その頃この一件とは関係のないある課題を思い出していた。それは自分の力の限界をどんな根拠で決めてしまっているかという現状の意識についての問題だ。潜在能力がどれ位あるのかわかる人はないだろうが大体は必要に迫られて力を発揮していくという場合が多いと思う。または謙虚な人は「私なんかできる筈はない」などとやる前から引いて能力があったとしてもやらずに終わるということもあろう。要は有るにもかかわらず無いと思ったら無いのと同じになってしまうということを気づかされている。そして別の表し方をすると有るものはあり、無いものはないというのが事実。しかし有るけれど無いと表現(正反対の言葉にすると)すれば事実よりも言葉が優先されてしまう恐れが多々あるのがこの三次世界ではないかと思うのだ。出来るかどうか分からないが、又は叶うかどうかは未定だが何もせぬままでは怠惰で無能と言われても反論の仕様がない。疑問が湧いたら答えはすでに自分の中にあると(自問自答が鍵であると)感じるこの頃、無いと思う根拠もないのに自分を不信して力なきもののように生きることを卒業したい気持ちでいる。

 

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