いちゃもんスローライフ

地球の声を聞きませんか

日記

日本語Ⅳ

表現することの目的には意識した(インプロビゼーションもあるが)ものをこの三次元空間で五感(人によっては六感以上も可能)に触れさせ、情報を共有することだと思う。見つめるだけで伝わることもあるし、意識を向けるだけでも分かることもある。そのようなことは夢の中でも経験する。場面場面には会話もなければ状況説明もないにもかかわらず以心伝心で伝わり瞬時に多くの情報を得ている。数分の眠りの中でも何十倍もの経験をした、ということはよくある。情報を発信する側と受け取る側の精度が高ければ起きているときにも同様のことが起きるような気がする。同じ概念を共有できる間柄には共通了解がとれ易いという意味だが、共通言語を駆使しても理解できなかったという苦い経験をすれば通常の人間関係においては前提条件の不備からのすれ違いは当然起こり得ることは覚悟しなければならない。明治、大正、昭和、平成生まれとの人間関係を経て(家族として付き合って)みて互いが分かり合うには言語に頼りすぎると難しい部分があるということを知った。自分と他者の情報を符号させれる力が言葉にはあり、つい言語に頼りたくなってしまう。しかし使い方を間違えれば魔術的にもはたらく。人の背景は想像以上に違うと知って、それを克服するために躍起になっていたこともあった。けれども逆に言葉の締め付けの中で苦しくなってしまった。当然そこからの解放を望むようになり、この頃ではかつて父が言っていた「理屈じゃないんだ、喋りすぎるな」という意味が分かる気がするのだ。女性蔑視で「女は黙ってろ」というだけではなかったようだ。

-日記